/海風会が歩んできた歴史。当時の様子を利用者や職員の声とともに振り返ります
昭和33年、国有地の弾薬庫跡に木造平屋の海風学園が誕生しました。海風学園の初代園長 故野村典代は、2人の子を育てながら3人の肢体不自由児を受け入れ、愛情を持って療育を行いました。緑に囲まれたのどかな環境の中で、草むらでのボール遊びや近くの海岸での海水浴(当時、現在の馬堀海岸駅前が海でした)砂浜での歩行訓練を行っていました。子供たちの学習にも力を入れ、読み書きや計算などの教育も熱心に行われました。
この頃の学園には水道がありませんでした。近くの公園まで皆で一斗缶(当時は、一斗缶に手提げを付けたものを使っていました)を持って水汲みに行くのが日課でした。足に麻痺のある子の一斗缶がゆらゆら揺れて学園につく頃には水が半分になっていました。機能訓練も兼ねて行われていた日課でしたが、職員と子供たちが一緒になって懸命に運んでいた姿が目に浮かびます。
10年目を迎える頃、多くの方のご尽力により社会福祉法人 海風会が設立(昭和43年)されました。国や県の公的補助が受けられるようになり、トタン屋根の木造園舎から鉄筋コンクリートに衣替えすることが出来ました(昭和46年)。職員、保護者、ボランティアの方々に手伝って頂き、その年の5月3日、鉄筋の新園舎に初めて入った子供たちは、新しくなった自分のおうちに目を輝かせ、声をあげて飛び回ったそうです。
海風会が社会福祉法人となった翌年(昭和44年)後援会が発足しました。海風会を支援する人達の仲間作りと障害福祉への理解を深めていく事を目的として、保護者会と並び長く海風会を支えて下さっています。海風会バザーやチャリティーショーの開催、福祉講演会や映画製作なども行ってきました。これらの活動を通じて様々な団体との繋がりを構築して下さったことは、現在にも息づいている法人のかけがえのない財産です。
MEMORIES【昭和30年~40年代】
私立海風学園設立当初から昭和40年頃の写真です。この頃の写真はどれもモノクロですね。園庭で運動会をする姿や海水浴で楽しそうに遊んでいる写真が沢山ありました!ステージ上を映した写真は『昭和42年クリスマス会』と書かれています。日帰り遠足では野毛山動物園にいったみたいですね!大きな象を目の前に興奮する子どもたちの顔が目に浮かびます。
小さなころから海風学園で過ごしてきた子ども達が、成人式を迎える年になりました。
「海風学園にこのままいたい」という保護者や子ども達の願い、社会福祉法人として地域社会への貢献が迫られる中で、海風学園は昭和53年に児童施設から成人施設へ移行しました。
海風学園が児童施設から成人施設へ移行した頃、施設や事業所がある「地域」について考え始めました。当日の福祉施設は社会から隔絶された世界で、そこで暮らす障がいを抱えた方は施設職員以外と関わる機会が極めて少なかったのです。街中にあっても郊外にあっても施設の中で生活しているだけでは変わりがありません。障がい者に対する差別や偏見も、社会から離れたままではなくならない。まず福祉施設のことを、そこで暮らしている方のことを知ってもらいたい。「障がい者」としてではなく、一人の「ひと」としてみてもらえるようにと考え、施設と関りが無い多くの方々にも遊びに来て頂けるよう様々な地域交流イベントを企画、実施してきました。保護者会や後援会のご協力のもと、昭和55年に第1回チャリティフェアが開催されました。その後、地域の催しとして定着していきました。近隣のボランティアの皆様、学生ボランティアの方々にも支えられ、地域にひらかれた福祉施設に向けて一歩ずつ前進してきました。
昭和63年、海風学園創立30周年を記念して、友好関係にあったネパールの施設へ職員と利用者3名が訪問しました。カトマンズ郊外にある「ナオジオン・ケンドラ」を訪問し、施設の見学や利用者同士の交流が図られました。盲目の少女が鉈で薪割りをしている姿に、皆で驚いたと同時にたくましさを感じたそうです。(※写真)笑顔で握手を交わしているのは、いちばん星に入居している安達さん。当時の様子を聞いてみました。
ネパールに行った時は冬だったと思います。飛行機を4,5回乗り継いでネパールに着きました。凄く遠くて疲れた事はよく覚えています。日本とは違っている事が多くて大変でしたが、船で食事をしたり、ネパールの障がい者が暮らしている施設の見学に行ったことは楽しかったです。うまく挨拶が言えないでいると、一緒にネパールに行った友達が日本語で「こんにちわ」と挨拶してくれました。時差や(水道の)水が飲めない事は大変でしたが、(今でも)行って良かったと思います。
平成9年3月、太田和の小高い丘(太田和城址)にいちばん星が設立されました。入所施設でありながら、手厚い支援と安全の為の目配りが行き届くよう、当時では珍しい「小舎制」を導入しました。海風学園からいちばん星に多くの利用者さんが引越し、新しい生活を太田和の地でスタートさせました。いちばん星の設立にあたり、野村園長は「自分も一緒に住みたい」と思えるような安らぐ居住空間を作りたいと考えていたそうです。
いちばん星設立から6年が経ち、平成15年に海風学園にほど近い場所に第一号グループホームを設立しました。両親を亡くし、自宅で一人きりになってしまった通所利用者の暮らしの場を検討してきたことがきっかけとなりました。ご両親を亡くした40代の男性と、20代の男性3名、計4名の入居者が一つ屋根の下生活を始めました。20代前半の若い入居者さんは「親元を離れ、一人の大人としての成長を見守りたい」とのご家族の強い想いもあり、開所初日は入居者ご家族が料理を持ち寄り盛大にお祝いをしました(写真左)。 現在は市内6か所のグループホームで、約30名の入居者さんが生活をしています。中には、長く入所施設で暮らしてきた方がグループホームでの生活を希望して実現させた例もあります。『住むところ』『暮らしの場』を自分で決める当たり前のようなことが叶わなかった時代がありましたが、今は少しづつ選択肢が増えてきています。
児童入所施設として発足した海風学園は、全員が加齢児となり成人施設へ移行しました。その際、通所を併設し市内の障がい者も受け入れました。もともと教育施設として療育も教育も行ってきましたが、そうした幼児の頃からの支援がいかに大切かを再認識し、平成16年5月児童デイサービス「こどもひろば風」を開所しました。 大人になったときに困らないために幼児からしっかりとした療育を行うことを目標とし、色々なメソッドを取り入れて風独自のプログラムで活動を組み立てています。自分の体を自分でコントロールできるようにして、集団活動に参加できるようにしていく為の行動療法も行っています。将来幸せな生活を送るために、こどもの持っている可能性を最大限引き出してあげることを目指して活動しています。これまでたくさんの子ども達が通い、成人になるのを見届けてきました。今通所している小さなお子様たちも、様々な学びや体験を通して日々成長しています。
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